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「コストパフォーマンス」の思想がない英語教育政策

2010.12.18.01:29

来年から小学校での英語が「強行」されます。時代はますます、鈴木孝夫氏の論とは反対の方向へ向かっています。
どうあっても、全国民が英語をある程度できるようにならなければいけないらしい。文部科学者はそのように思っています。しかし、なぜそうなのか。現実的にほとんどの国民は英語などなくても生きていけるという事実があり、モチベーションが維持できないことは現場からすればこれほど明らかなことはないのに。

鈴木氏はあくまで英語は「エリート」に必要なものだ、と断定しています。しかし文科省には明らかに「平等主義」があります。エリートとそれ以外で到達目標に差が出るのを好まない。文科省の審議会などに出る人はみなエリートばかりであり、中高で英語など苦もなくできていた人ばかりなわけで、そういう才能のない人たちの気持ちがわからないのです。これほど言語のシステムが違っている英語というものを多くの国民が話せるというのは、インドやフィリピンのようにそれなしでは社会が成り立たないという条件がある場合に限られています。

靜先生は英語教師に英語ができない人が多いとさかんに言っていますが、裏をかえせば、それだけいい教師が確保できないという現状にあるわけです。本当に英語ができる人は教師などという割の合わない職業にはつきたがりませんね。

学校だけではありません。塾や家庭教師でたくさん英語が教えられていますが、それを教える人はどの程度英語ができるのでしょうか。大学生のバイトなどが多いですが、ほとんどの大学生は発音もめちゃくちゃだし、TOEIC600点以上取れる人も全体からすればわずかです。600点以下の人が英語を教えてしまっているわけです。それでも文法や和訳の問題の解き方は教えられるわけですが、そういう問題が解けるようになることがどれだけ英語力の向上につながるのか、こういう人たちは見透すことができないでしょう。児童英語を教える人たちも英語力はどのくらいのものでしょうか。

本当は最低でもTOEIC800点以上あるくらいでないと英語を教えてはいけないと思います。しかし、全国民に英語を教えようとするとそれだけの教師が確保できないのです。これが現実です。
ちまたで教えているネイティブの会話講師にしたって、ただネイティブというだけで、英語教育の訓練はほとんど受けていません。しかもナマリがあってもおかまいましです。

クオリティの高い英語教師というのは残念ながらかなり少数なのです。教師の平均的なレベルを上げるには、鈴木孝夫氏が言うように受講者数を十分の一くらいに絞るしかないわけです。英語力の低い人がたくさん教えているのは、習う人が多すぎるからです。

これはつまり、英語に上達するのは、日本人には本当にむずかしいのです。その難しさはだいたいアラビア語と同じくらいです。

英語を学習するということは、そのぶんだけ、ほかの勉強ができなくなるわけです。

英語のネイティブは、まったく外国語を勉強することなく、そのぶんの時間を、専門の勉強に当てられます。
これがどのくらいのアドバンテージであるか、いうまでもありません。
ノーベル賞が多いなんて、あたりまえのことです。
ですから、鈴木孝夫氏のいうように、日本語を普及させるよう血眼にならなければならない、というのは当然なのです。
英語に時間を割けば割くほど、専門的な学力は落ちるのですが、それでいて英語が結局中途半端で何も使えない状態で終わるなら、これは大いなる時間の無駄となります。
私は、鈴木孝夫氏の論にもっと耳を傾けるべきだと考えます。

日本の英語教育政策の誤りをまとめればこんなところでしょうか。

◆英語は勉強すれば簡単にできると思っている。英語の難しさをわかっていない。
◆英語が必要でない人が多いという明白なる事実を認めない。
◆英語ができることを無条件によいことと見なしており、「必要悪」という認識がない。したがって、コストパフォーマンスの思想がない。
◆戦後から一貫してつづく平等主義のため、到達目標の複数化を認められない。

また国民の側も、英語ができることを無条件によいことだという思想からなかなか抜け出られません。それで子供に英語を習わせたりしますね。

しかし、英語を捨てて、人が英語をやっている時間をほかの勉強にあてれば、その分野で抜きんでることができるかもしれないのです。そういう発想をすることがなかなかできません。成功したら、必要ならば通訳をいくらでも雇えばいいのです。英語のネイティブはみなそうしているのです。

時間は有限なのですから、何を拾って何を捨てるか、そのへんは決断なのです。これがコストパフォーマンスの思想です。
英語は、本当にやりたい人、やらなければならない人だけが習うものです。

もし外国語を知ることが言語についての教養を高めるというのなら、中国語でも韓国語でもアラビア語でもアイヌ語でもいいはずです。そして到達目標は簡単な挨拶ができ旅行ができる程度でいいのです。だから私は、もし全国民に英語をどうしても課すならば中学校だけで、英検5級程度をノルマとすればいいと思います。それ以上は選択化すべきです。本当は、中学でも他の外国語との選択ができるといいですね。
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プロフィール

SH

Author:SH
東京大学大学院総合文化研究科出身。現在、地方の公立大学教授。第二言語習得研究・音声学等の知識をもとに25年以上にわたり英語教育に携わる。
TOEIC990点。
英語のほかいろいろな言語をやってみました。フランス語・ドイツ語・中国語も本を読むことはできます。現在は中国語とロシア語を学習中で、自分の外国語学習理論による多言語習得をめざしています。ハングル能力検定3級合格。

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