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「話せなくてもいい外国語」

2010.05.03.12:44

白水社のマルチリンガル愛好者向きシリーズの話が出ましたが、それとか黒田龍之助の著書を読むような人はわかると思うんですが、いろいろ、日本語とは異なる言語をちらっとのぞき見するのはかなり楽しいことです。こういう面白いことをなぜやらないのかな~ と思うくらいです。ま、時間がかかる趣味ですけど。

思うに、「できるようにならなければならない」「話せなければならない」と考えると大変なんですね。アラビア語で、内容のあることをネイティブと会話しよう、なんて考えるとどのくらい勉強しないといけないのかわかりません。
ですので、「話す」といっても、その国・地域に旅行した時に最低限必要となる、サバイバルレベルでのいくつかの決まり文句を覚えておく、くらいのことしかできないのが、外国語の学習としてはふつうであると思った方がいいです。

一つの外国語を、たとえば英検2級レベルくらいまでできるようになるということはいかに大変なことか、ということです。

私はたくさんの外国語をかじっていますが、英語以外には、サバイバルレベル以上に話せる言語はありません。

このブログで何度も書いていますが、「英語は必要だから学校教育で英語を話せるようにしなければならない」という考え方そのものがまちがいなのです。まず、英語は万人に必要ではなく、学校教育で英語が話せるようになることは(今の体制・授業数では)不可能です。
その教育意義は「外国語を知るという体験」をさせることにあると思います。
そこで英語を選択することにはある程度妥当性があると思います。世界で大きな勢力を持つヨーロッパ諸語であり、その中でも文法が最も簡単で学びやすいからです(否定文・疑問文の作り方が変わっていますが、それでも他のヨーロッパ語よりずっと簡単です)。ただ発音やリズムなどには独特の癖があり、綴り字の不規則が多いというマイナス面もあります。そして、いざ本当に必要になったときに、基礎の基礎を既に習っていれば有利になります。

一方、理想をいえば中国語か韓国語のどちらかを選択で学習することには意義が大きいと思います。言語に対する視野を広げるという意味では。黒田氏は、英語教師は第二外国語としてこの二つのどちらをやれ、と言っていますが私も賛成です。ただしこの場合「やる」というのはどういう言語であるかを知るという意味であって、内容のあることを話せるようにするというレベルではありません。

「英語はみな必要だから全員話せるようにならなければいけない」というイデオロギーを唱える人が、むしろ英語教育をゆがめたものにしている、というのが私の見解です。
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プロフィール

SH

Author:SH
東京大学大学院総合文化研究科出身。現在、地方の公立大学教授。第二言語習得研究・音声学等の知識をもとに25年以上にわたり英語教育に携わる。
TOEIC990点。
英語のほかいろいろな言語をやってみました。フランス語・ドイツ語・中国語も本を読むことはできます。現在は中国語とロシア語を学習中で、自分の外国語学習理論による多言語習得をめざしています。ハングル能力検定3級合格。

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