スポンサーサイト

--.--.--.--:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

英語教育とコストパフォーマンス

2010.04.24.11:02

図書館から借りてきた、英語教育についての岩波新書二冊です。


日本人はなぜ英語ができないか (岩波新書)日本人はなぜ英語ができないか (岩波新書)
(1999/07)
鈴木 孝夫

商品詳細を見る


この本はどうもタイトルと内容がやや違っているような感じもあります。多くは鈴木氏の持論である、「発信型の英語にしろ」という主張を展開するものです。
まあ、評論家として有名な人のことですから、論旨の展開は手慣れた感じで、明快ではあります。
英語教育についての提言は、簡単に言えば、「英語はすべて選択科目にしろ」ということです。その上で、教材をすべて日本のことにし、日本について英語で発信できるエリート的人材を養成しろ、ということです。

まあ、裏を返せば、すべての人が、英語なんてむずかしいものをやる必要はないんだ、ということにもなります。文科省は「高校を卒業するすべての国民は英検準2級~2級レベルの英語力をつける」なんていう、現場を知る者には非常識としか言いようのないありえない目標を掲げていますが、まったくのナンセンスだということになりますね。

ただこの本自体としては、日本の英語教育の現状についての分析は不十分であるように感じます。また、第二言語習得研究の成果についても触れられていません。

しかし、鈴木氏は、「英語というのはそう簡単にできるようになるものではない」ということをよく知っている立場から言っていることはわかります。だいたい、英語が実際にあまりできない人は、英語ができるようになるためにはどれだけの努力が必要なのか、わかっていません。「話せるようになる」なんてことはけっしてそんなに簡単なことではないのです。それが簡単にできるだろう、学校教育だけでできるだろうというのはまったくの幻想にすぎません。少人数クラスにして、最新の教授法にして、教師の質を上げ、授業数を何倍にもするといったコストを徹底的にかける必要があります。そんな予算も出さず成果だけを求められても話になりません。

要するに、多くの人は「英語ができるようになるためのコスト」を知らない、ということではないでしょうか。「コストパフォーマンス」という点から言語政策を考えるとよい、ということになりますね。例の「捨てる英語」ではないですけど、現実的に、「英語を勉強することがコスト的に見合っていない人」というのもあると思うのです。つまり

「英語はむずかしい」

のです。英語は簡単だというのは幻想です。もしこれが、

「アラビア語を、意思の疎通が困難なくできるまでに習得する」

と言われれば、それは相当むずかしいことだろうな、と思うのでしょうが、日本語話者にとっての英語は、アラビア語と同等のむずかしさがあるのです。

というわけで、鈴木氏の主張は、おおむね、1974年に出された、あの「平泉試案」の内容に近いといえます。つまり、一般国民の英語学習の負担は思い切って軽減し、一部の人に限定してもっと集中的に英語教育を行う、ということです。その後あの試案は不毛な論争に終わってしまいましたが、「英語はむずかしい」という基本認識があるならば、この試案は今なお検討に値するといえます。

あと著者の指摘で記憶に残ったのは、「一般に世界では、外国語ができる人というのは弱者であることが多い」」ということです。つまり、外国語をやるというのは、どうしてもやらねばならない切迫した事情があるからやるものであって、外国語が楽しい、好きだからやるというのは少数だということなのですね。日本では歴史的な経緯から、外国語をやることが無条件にポジティブなことだと認識しがちです。しかし、外国語を学ぶという多大なコストは、回避できたらそれに越したことはない、という考え方の方が普通なのかもしれません。そういう外国語についての認識のずれによって、日本では「外国語をやることのコストパフォーマンス」という発想が出にくいのかもしれません。用もないのに楽しそうだから外国語を始める、というのもあっていいのですが、そういう趣味の世界は、言語政策とは切り離して考えねばなりませんね。

もう一冊読みました。

日本の英語教育 (岩波新書)日本の英語教育 (岩波新書)
(2005/04)
山田 雄一郎

商品詳細を見る


要は、「どういう日本人を育てるかという視点が今の英語教育の政策にはない」ということを言っています。それはまったくその通りですが、もう少し具体的な提言がほしい気もしますね。著者が理想とする英語教育のシステムとはこういうものだ、とはっきり提示すればよいのではないでしょうか。はっきりとひな形を示して、文科省にその政策を採用させようとするのが政策論の専門家というものでしょう。

それと、第二言語習得研究がまったく反映されていないんですよ。英語を学ぶには「文法の学習とその応用練習のくりかえしが大切だ」などと書いていますが、そういう英語教育観というのがちょっと深みを欠いているなと思います。つまり、「そもそも外国語の学習とはどういうものなのか」という問いが、最新の研究を踏まえてしっかりとおさえられ、次に、言語学習として設定する目標を定め、それに到達するための、日本語話者に最適化された教育システムを設計する、というプロセスを言語政策論には期待しますね。

当然ながら、その「目標設定」は全国民一律であるはずもないので、もし複数コースを考えるのであれば、それもみな設計しておく必要があります。

この本は、「英語の習得にはコストがかかるということを忘れて浮かれ騒ぐな」という論旨だと理解しましたが、それにはまったく賛成です。ただ、言語習得についての洞察をもう少し入れたかったという感じです。


ということで、以下は私の私案です(笑)

「英語はむずかしい(日本語話者にとって)」という前提に立つならば、全国民が準2級レベルに達するなんてことは絶対にあり得ません。そういうことを考える人は、よっぽどどうかしてます。
教育次第で到達可能なレベルは、4級程度だと思います。
ですので、もし高卒まで英語を必修にすると言うのなら、ベーシックな目標として4級レベルを設定し、それを高校までにやる、というのが実際的です。そのかわり、音声面もしっかり指導するのです。
それ以外に、さらに英語を進んでやりたい人のためのコースを別に設けます。つまり、イギリスで言う「Aレベル」みたいなものです。高校によっても差をつけるわけです。あるいは、英語をほとんどやらない高校があってもいいかなと思います。
大学側の対応としては、まず大学入試でその大学独自の英語試験を課すことを、原則禁止します。ただ、英語系の専攻の学科は例外としてもいいでしょう。
そのかわり、TOEICに似た、語彙数を3000語くらいに制限して、リスニングとリーディングを同等に扱う実力テストを作ります。一種の資格試験みたいなものにするわけです。上位者はほとんど90点以上で差がつかなくなりますが、それでいいのです。大学入試は、他の科目で選抜すればいいです。国語なんていくらむずかしくしてもかまわないと思います。
大学での教育は、このような高校生の多様化を踏まえて、さまざまなレベル別の選択科目を用意する形になります。専門書購読でも英語再入門でも何でもいいでしょう。大学の方針により必修としてもいいですが、達成度別クラスにしないといけません。

忘れてはいけないのは

「授業だけでは絶対にできるようにはならない」

ということです。なぜかといえば、それだけではいくらがんばってもインプット量が絶対的に足りないからです。
ですから授業では、授業でしかできないことをやるのと、勉強のやり方を教えるということをやります。
授業でインプット形式を多少取り入れれば、生徒に対し、「インプットは大切だ」というメッセージになります。ですから、量としては不十分でも、多読などを積極的に取り入れるべきでしょう。
あと、発音指導など、やはり対面指導でないとやりにくい要素を、授業では重視すべきです。

もう一度書きますが

「外国語教育の政策は、コストパフォーマンスをよく考えよ」

です。
そう考えると、私は、高校まで全員必修というのは、少し無理があるかもしれないと思っています。
希望者に限定して、少人数で、よいメソードで、教えた方がいいでしょう。

山田雄一郎氏の具体的な政策提言は、大津由紀雄編『日本の英語教育に必要なこと』に出ていました。
それについては、また別項で書くかもです。
関連記事

theme : 英語・英会話学習
genre : 学校・教育

プロフィール

SH

Author:SH
東京大学大学院総合文化研究科出身。現在、地方の公立大学教授。第二言語習得研究・音声学等の知識をもとに25年以上にわたり英語教育に携わる。
TOEIC990点。
英語のほかいろいろな言語をやってみました。フランス語・ドイツ語・中国語も本を読むことはできます。現在は中国語とロシア語を学習中で、自分の外国語学習理論による多言語習得をめざしています。ハングル能力検定3級合格。

このブログのコメントは承認制にさせていただいています。コメントの掲載については管理者にご一任ください。

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
 
QRコード
QR
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。