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『危機の大学論』

2013.04.28.22:48

また英語と直接の関係はないですが、諸星さんの『大学破綻』が面白かったので、図書館にて尾木ママさんとの対談本『危機の大学論』を借りて読んでみました。

なかなか納得の指摘が多いです。中でも、今は中等教育の質の担保がされていない問題が出てきます。尾木さんは、学力がついてない生徒には何回も留年させるようなシステムにすべきと言っていますが、まったく同感です。中等教育が崩れているからまた大学教育も成立しにくい、という構造がありそうですね。

大学が増えすぎているのも当然、問題です。諸星さんは、ミッションの不明確な大学が多いと指摘しています。
そして、そういう全入時代にあって、大学教員には教育力が要求されているのに、相変わらず研究業績のみで教員を採用するシステムなので、教育力のある教員が少ないということ。

いずれにしろ、大学がエリート層のものだった時代を懐かしむのではなく、この状況に見合った大学のミッションを考える必要がある、というのがこの本から伝わることですね。
時代が変わったのに、多くの大学はいまだに旧帝大のミニチュアみたいなしくみで動いているので対応できていない、ということが浮かび上がってきます。まあ客観的に見れば、なんのためにそこにあるのかよくわからない大学は淘汰されてもやむを得ないでしょう。下位校といっても、誇りを持って「勉強がいまいちな学生を一人前に育てる」というミッションを打ち出せばいいのですね。

ただ、今の大学はダメだとバッシングするだけでなく(実際改革しなければならないことは多いのですが)、中等教育が機能していないことをはっきり指摘していたのはよかったです。その改革として、諸星さんは、高校の4年目を作って、高校教員が徹底して基礎学力を鍛えるようにするという案を示していますが、これはよいアイデアではないかと思いました。

それと、入試については、中等教育がちゃんとしてくれば、大学入学資格の試験(アメリカのSATみたいなもの)を整備すれば、入試はあまり問題ではなくなるとしています。
その試験に高三でよい成績を取れればそのまま大学へ行けばいいし、そうではない人は高校四年目をやってもう一度受けなおすことができればよいですね。海外にはそういうシステムの国もあったように思います。

このブログの趣旨である英語教育について触れてはいませんので、以上の論を踏まえて、私なりの見解をついでに書いておきます。
現状の指導要領の到達目標には基本的に無理があると考えています。全高校生に対する最低の要求基準は高卒までに英検3級程度(ただし、それは読めるというだけでなくそのレベルで英語がある程度言えるということを含みます)にとどめ、ある限られた生徒のみそれより上級に進むようにすることです。それにともなってセンター試験は2通りくらい用意し、それはTOEICのようにリスニングを50%にします。上級のテストにはできればPCベースのスピーキングテストも併用するといいかと思います。テストはTOEICのようにスピード感を持って英語を処理しなければ得点できないものにすれば、英語学習も変わってくるでしょう。
TOEFL導入の問題点については過去に書きましたので参照してください。


危機の大学論  日本の大学に未来はあるか? (角川oneテーマ21)危機の大学論 日本の大学に未来はあるか? (角川oneテーマ21)
(2011/11/10)
尾木 直樹、諸星 裕 他

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TOEFL導入案についての疑問

2013.04.26.23:58

英語とは直接関係ないのですが、『大学破綻』という本を読みました。
基本的に斜陽産業である大学界は、あと10年で100校くらい破綻するかも、と言われています。
実際にそういうこともありうると思っています。
私の学校は、たまたま「完全公設民営」だったので、公立大学法人に転換するという一発逆転に成功しそうですが、そうでなければ、確実に危なかったと思います。
こういうジャンルの本は最近たくさんあるのですが、この本はなかなか、しっかりした著者でよかったですね。
その中で、「それほど勉強のできない人を入れて一人前の社会人に教育していくというミッションの大学も大切だ」という論点がありました。まったくその通りです(うちの場合は、専門的な技術を習得させるものなので、それとはちょっと異なりますが)。

というのも私は自民党の「大学入学資格にTOEFLを」の論にまったくあきれているからでして、そういう「全入時代」に対応したミッションをまったく無視した案だと思うのです。
TOEFLというのは、そこそこの大学に合格した人が、「よし留学をしよう」と決心して、必死になってさらに勉強して受けるものですので、それを入学資格にするというのはまったくずれています。
こういう、英語教育やそもそもテストの難度のこともわかっているか疑問である人たちの案は現実的ではありませんし、多くの反対にあってつぶれるであろうと予想しています。

大学入試改革によって、英語学習の方向転換を促すというのはいいのですが、まず手っ取り早い方法として、センター試験をリスニング・リーディング半々の配点にすればいいし、それで不足なら TOEIC SWテストみたいなコンピューターに吹き込んでやるスピーキング試験をプラスすればよいでしょう。
そもそもそういう国家政策を、アメリカの一機関のテストに頼るというのは、よほどの小国ならば別ですが、日本のような規模の国がやるべきなのか、という問題もありそうです。

自国の英語教育政策は自国で決めるべきです。こういう政策を考える人は、英語のことはすべてネイティブの人々がいちばんわかっているという「native speaker fallacy」を持っているようですね。ETSの試験を採用するというのは無自覚のうちにアメリカの価値観が入ってくることになりませんか。そういう「外注」は国として危険ではありませんか。

それと、「大学教育とはエリート教育であるべきである」という価値観が政治家に見え隠れしているのが気になるのです。彼らは「下位学生をまともに育てるミッションを持つ大学」などが存在することを認めず、そんなものはない方がいい、と思っているらしい、という印象を与えられるのです。進学率が下がった方がいいと本気で思っているのかもしれません。いずれにしろTOEFLの案は、エリート養成の大学のことしか考えていない政策案かなと感じます。

その、レベルが高校教育とまったく合ってなく非現実であること、国の政策として妥当なのかということ、そして、大学教育に対するエリート主義的な偏向が感じられること、この三点が、疑問としてあげられます。


大学破綻  合併、身売り、倒産の内幕 (角川oneテーマ21)大学破綻 合併、身売り、倒産の内幕 (角川oneテーマ21)
(2010/10/09)
諸星 裕

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ノンネイティブ視点の入ったSLA・言語教育概説

2013.04.15.22:27

SLAとそれの英語教育法への応用についての概説、なんて本は洋書にはあまたあると思いますが、その中でもちょっとひと味違うなあ、というのを見つけました。
最近、Vivian Cook というイギリスの学者(おじさんですよ)の、multi-competence というコンセプトを知りました。応用言語学やSLAの世界では知られているのかもしれませんが、今まであまり聞いたことなかったですね。
これは簡単に言うと、すでに第一言語を習得している人の第二言語習得は、独特の性質があるということです。
つまり、母語に加えて他の言語もできる、ということの「強み」を考えてみよう、というアプローチだと思います。単に、いかに他言語のネイティブスピーカーに近づくかという視点ばかりで考えるものではない、ということですね。
そこで、「ネイティブスピーカーにひたすら近づこうとすることが第二言語習得の目標なのか」という疑問も提示されますし、また、「第二言語の授業で第一言語を使って何が悪いのか」というような主張も出てきます。

これは、まさに私が考えていたことで、日本人も、英米人にいかに近づくかということではなくて、「日英両語を使えるという強みをどう発揮するのか」という視点で考えていくべきだ、ということですね。
また、その視点からすれば、学習法も当然違ったものになっていく、ことでもあります。

multi-competence については、検索すればWEBサイトも論文もあるんですが、応用言語学の話ですからどうも難しかったのです。その点この本は、そういう multi-competence の考えが随所に入りながら、まったく予備知識なしで読め、SLAや学習法・教授法について概観が得られるというかっこうの本になってますね。ただし、TOEFLリーディング100点レベルの読解力は必要だと思いますが。

World Englishes の考えも入っていまして、私たちノンネイティブスピーカー側にかなり立って全体を概観しているというが貴重な存在だと思います。
日本語の概説書にしても、多くは「ネイティブスピーカーをモデルとする」ことを全く疑ってない立場から書かれたものが多くないでしょうか? 
multicompetence のコンセプトはもっと世の中に広がるべきだと思います。


Second Language Learning and Language TeachingSecond Language Learning and Language Teaching
(2008/06/27)
Vivian Cook

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from p.11

multi-competence: the knowledge of more than one language in the same mind

the independent language assumption: the language of L2 learner can be considered a language in its own right rather than a defective version of the target language (sometimes called 'interlangueage')


かなり古い版の訳が出ているのですが、どの程度違うのかわからないですね。


第2言語の学習と教授第2言語の学習と教授
(1993/09)
ビビアン クック

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韓国語の発音の本

2013.04.15.22:07

前田真彦さんの韓国語の発音の本を買いました。
というのは久々に韓国語を再開したくなってきたのと(4月というのは語学を始めたくなりますよね)、前田さんの本ということで期待できますし、英語の発音指導についても何かヒントになるかなと思ったのです。
二人のレベルの違う生徒にそれぞれクリニックを施すという形式で、よくできていますね。
振り返ってみると英語ではここまでいい本があるのか・・
いい本はありますが、こういうフォーマットのものはなかったですね。
見習いたいものだと思いました。
韓国語学習者はレベルを問わず必携だと思います。
英語学習者も、発音クリニックになるような本を一冊は持っているべし、ということですね。


韓国語発音クリニック《CD付》韓国語発音クリニック《CD付》
(2013/03/23)
前田 真彦

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「習得難易度」を考慮に入れた英語教育プログラムを

2013.04.10.23:33

こんな本を読んだのですが

米国の日本語教育に学ぶ新英語教育米国の日本語教育に学ぶ新英語教育
(2008/06/13)
米原 幸大

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同じような内容がWEBにも出てるのは、わかってるんですけどね。
アメリカの大学の日本語教育に衝撃を受けて、それをモデルにして日本の英語教育のプログラムを提示してみた、という内容です。

大事なポイントは「最難外国語には、それなりのストラテジーが必要」という視点でしょうか。
これまでの英米でのESLモデルは、フランス語やスペイン語話者といった、習得がやさしい言語の話者をもとに作られているものが多いので、そのままではだめだと言ってます。たしかにその通り。
そこで、コミュカティブアプローチだけでは無理で、オーディオリンガルのアプローチも入れていくべきだそうです。

母語との距離による「習得の容易さ」の問題はすごくあるのでは? と私は前から思っていたので、この指摘には納得です。
これまでの英米の英語教授法にはそういう視点がなかったです。Teaching English as an International Language という本を見てさえ、母語との距離という問題意識はないんですね。
私の場合、これまでの外国語学習経験が役立ってます。フランス語、ドイツ語などのヨーロッパ言語と、中国語・韓国語をやったことがあるのですが、特に韓国語の学習経験はかなり衝撃だったことを覚えています。つまり、これほど日本語と近くて、単語を置き換えればほとんどしゃべれてしまう言語があるということにびっくりしました。そして、たぶんドイツ語話者にとって英語とはそういうものなんだろう、さらに韓国語と違って文字まで同じなのです。そうすると、ここまで母語との距離により学習の難易度の差があるのに、それを無視して「ユニバーサル」な英語教授法など考えることに意味があるのか、という疑問は当然出てきます。

英語話者が、日本語や中国語、アラビア語などを学ぶ場合の困難さというのを認識して、それを視野に入れて英語教授法も研究してほしい、と思います。
こうした「最難外国語」を学ぶためのストラテジーとはどういうものであるのか。

この本で著者は、日本にいる多くのネイティブスピーカー英語教師が、日本語があまり上達しないことを指摘し、「習うより慣れろ」で日本語を習得できていない人が同じ方式で英語を教えているのは矛盾だ、と述べています。

つまりわれわれは、英米の英語教育法の世界が言っていることを無条件に「ユニバーサル・スタンダード」として拝聴するという姿勢を改める必要があるということです。
Sandra McKay が言っているように、その国の英語教育はあくまでローカルな事情を考慮してその地域の人が作るべきなのです。
そう考えると、今の文科省の姿勢は、あまりに英米のコミュカティブ・アプローチを盲進しすぎていないでしょうか?

政治家たちの、高校教育の実態を無視した「TOEFLの大学入学資格義務づけ」にも断固反対していかねばなりません。
TOEICもTOEFLも受けたことのない人が聞きかじりで言ってるだけなのかと邪推してしまいますね。

それはともかく、「ネイティブ信仰」からの脱却を説いている次の本は、示唆に富んでます。
習得難易度の話がないのは残念ですけどね。それは日本語話者のように「難易度の高い言語」の話者の方から声をあげて、「グローバルスタンダード」の変更を迫らなくてはなりません。

グローバルスタンダードというのは、すでにできたものを無条件に受け入れることではありません。それで不利な扱いを受けるグループはそれに抗議し、折衝の末、誰にも受け入れられるように変えていくという、そういうものが本当のグローバルスタンダードではないでしょうか。



Teaching English As an International Language: Rethinking Goals and Approaches (Oxford Handbooks for Language Teachers Series)Teaching English As an International Language: Rethinking Goals and Approaches (Oxford Handbooks for Language Teachers Series)
(2002/04/04)
Sandra Lee McKay

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プロフィール

SH

Author:SH
東京大学大学院総合文化研究科出身。現在、地方の公立大学教授。第二言語習得研究・音声学等の知識をもとに25年以上にわたり英語教育に携わる。
TOEIC990点。
英語のほかいろいろな言語をやってみました。フランス語・ドイツ語・中国語も本を読むことはできます。現在は中国語とロシア語を学習中で、自分の外国語学習理論による多言語習得をめざしています。ハングル能力検定3級合格。

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