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音声面の基礎知識を得る本

2012.11.25.22:34

前の記事に関連して、「音声面の基礎知識を得る」ためのおすすめの本を何冊か紹介します。

CD付 世界一わかりやすい 英語の発音の授業CD付 世界一わかりやすい 英語の発音の授業
(2009/09/11)
関 正生

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かなりわかりやすい解説で、音変化までカバーしているのがいいですね。
ただ、tの弾音化についての説明で、「日本語のラ行音になることがある」ことに言及していないのは残念(dに変わるという説明はあるのですが)。英語史についての記述にちょっと正確さを欠く部分があるようですが、まあいいでしょう。独習にはかなりいいですね。

絶対発音力 「マトリックス方式」で脱日本人英語絶対発音力 「マトリックス方式」で脱日本人英語
(2009/09/05)
靜 哲人

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このブログでも何度も紹介している靜先生の本。発音指導の第一人者だけはあります。説明が詳しく、ユニークな練習もあります。このブログの中に正誤表があるので検索してみてください。

英語舌のつくり方 ――じつはネイティブはこう発音していた! (CD book)英語舌のつくり方 ――じつはネイティブはこう発音していた! (CD book)
(2005/07/22)
野中 泉

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これもなかなかよいです。ただ、bus の母音が、あいまい母音「シュワ」の強形として説明されているところは少し違和感がありました。それと、tの弾音化(フラップt)は、個人的には聞いてわかればよく、真似する必要なないと思います。相手がイギリス英語の人ならあまり好意的に取られない可能性もありますし。その他にはよし。

上の三冊が特におすすめかと思いますが、その他に、DVDつきで口の形が見られるものがあってもいいかもしれません。ただそれはWEBページでもありますので、お金をかけなくてもできることではあります。DVDつき本はだいたい個々の音素が中心でリズムや音変化の話がないので、それだけでは不足です。

『日本語なまり』という本もいいですが、これはちょっと要求が、一般の人には高度すぎます。英語教師になる人は見ておくとよいでしょう。音声学の基礎知識を学べます。

なお、発音の本を見るときの注意として、練習の方法が本によって異なることがあります。たとえば「AとEの間の音」を出すのに、「アの口でエと言え」と書いてある本と、「エの口でアと言え」と書いてある本があったりします。これは、どちらでもいいのです。といいますか、練習方法というのは人によって効く方法が違いますので、みんなためしてみていちばんうまくいくものを選びます。指導者がいるなら、もし「ア」寄りの音しか出ない人がいたら、「エというイメージで」と指導すればうまくいきます。そのように本当は個々人の癖によって練習方法を変えるのがいいのですが、本だとそこまではできません。ですので本はできれば複数用意して読み比べるのがいいのです。

なお、アメリカ発音かイギリス発音かというのは、国際英語の時代ですからあまりこだわらないことです。
特に、early の母音、あいまい母音の長いものは、アメリカの「r化」された発音は難しいのです、r化されないイギリス式でやるほうが多くの人にはいいと思います。上にあげた三冊もr化の音はとりあげていません。音声学からするとかなり簡略化された説明になっていますが、一般にはこれで十分だと思います。
専門的には、『日本語なまり』から入って、竹林滋の本など英語音声学の教科書に進めばよいです。
ちなみに、英語教員になるには一般音声学、英語音声学、音声指導実技を必修にすべきでしょうね。指導できないから教えないという面があるように思いますので。

なお、こちらの本は良書ですが、惜しくも品切れですねえ。音声基礎知識から音読へつなげるというコンセプトは大変よかったんですが。まだマーケットプレイスでは入手可能なようですからお早めに。

英語らしい発音は、音読でこそ身につく。英語らしい発音は、音読でこそ身につく。
(2009/07/01)
晴山 陽一

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英語教育雑感その2

2012.11.25.21:56

英語教育雑感その2です。

そもそも、日本の外国語学習については、漢文の伝統というのがあります。
漢文というのは、実際に中国人と話すのではなく(その機会はほとんどなかったのです)、膨大な書物を読んで知識を輸入するという目的でした。
外国語は読むためのものという伝統があったわけです。
明治以来、それはヨーロッパ語(英独仏)に変わりましたが、「原書を読むため」という目的は同じでした。
これは、旧制高校から大学へというごく一部のエリートを対象にした教育でしたが、よく機能していたのです。

戦後になって、英語教育の対象が国民全部に広がっても、この外国語教育のスタンスが維持されて、最終目標を「原書講読」においた教育システムができたわけです。
ですので、昔はこれが最良の英語教育だったのですが、時代が変わり、要請される英語力が異なってきても教育システムが十分に対応できてこなかったわけです。

それではまずいということで、文科省はセンター試験にリスニングを入れたり、コミュニケーション科目を義務づけたりして変えようとしてきました。ただ文科省は、会話ができるようになるためには会話の授業を増やすというような考え方があって、インプットの重要性に気づいていないようです。
それと、エリート層向けの教育内容を全国民に要求することの無理というのも、「平等主義」の立て前から認めていないので、そこにも歪みが出ています。全国民に要求するにしては、高校の到達目標があまりに高すぎるのです。カリキュラムの自由化、もしくは複数化、選択化といった施策が必要です。

ところで、「学校英語だけでは話せないから、英会話学校へ行く」という考え方は正しくありません。こういう考えの人が多いので英会話学校が儲かっていますが、こういう学校「だけ」で上達した人はあまりいません。
話せないのは、会話の練習が足りないという面ももちろんあるのですが、それよりまず、「インプットが足りない」からです。インプットをした上でアウトプットの練習をする、その比率は9:1か8:2にするのです。
で、アウトプットの練習は、ネイティブにこだわらず、フィリピン人のスカイプ学校をおすすめします。安くたくさんできますし、スクールを選べば発音もノンネイティブとして問題はありません。国際英語の時代ですし、専門知識もない「ただのネイティブ」にお金を払う必要はありません。

どうするかというと、「やさしいものを大量に読み、聞く」です。多読・多聴です。学校教育に欠けているのはこの要素です。ですから生徒・学生の人は自分でこれを徹底的に実践することをおすすめします。多読のやり方はいろいろ本が出ています。

もう一つ、やさしいのではなく、自分にとって適当なレベルの教材も使います。こちらは、和訳や解説がはじめからついているものにします。これは付属のCDを聞き、それをまねして音読する練習もしていきます。

その前提として、「英語の音声面についての基礎的な知識」を得るための本を勉強しておきましょう。できれば個々の音だけでなくリズムとか音変化なども説明してるのがよいです。それは完璧にできなくてもいいので、知識としてまず知っておくということ。それをいろいろな音読で実地に練習していきます。

このように、まとめますと、

1 やさしいものの多読・多聴
2 適当なレベルの読解・音声を聞く・音読する
3 音声面の基礎知識の習得

これがおすすめの学習パッケージとなります。多読だけとか、音読だけでできるという人もいますが、この三つをバランスよくやるほうがいいと思います。(瞬間英作文とか、修行系のトレーニングのみをがんばってやっても伸びますが、多読多聴を平行してやる方がもっと簡単に上達できます)
学校教育では2の「適当なレベルの読解」しかやってないというか、それだけで授業時間が終わっている状況ですから、理想にはほど遠いのです。

授業では対面でしかできない音読指導などに重点を置いて、和訳などは最初から配ってしまえばいいと思うのですが。それと3をカリキュラムとしてしっかり教える、音読を評価に組み入れる、授業外での多読・多聴をすすめる仕組みなどをすればかなり改善されるはずです。そもそも教科書にCDがついてないというのが信じがたいのですよ。

子供の受けている英語授業はどうなんだろう、と思ったら、そのノートの指導を見てみることです。ノートに和訳を書かせていたら、それは基本的にダメダメだと思った方がいいです。頭の中に残るのは日本語だけでなくて英語でなくてはいけません。和訳を覚えておいてテストを点を取っても意味はありません。(これは、和訳があるから即いけないというのではなく、和訳を作ることをメインターゲットとした授業となっているのはダメである、という意味です。詳しくは、下の安河内さんの本に出ています)

英語を教えるのが好きな人は中高の教員などにならないことです。学校全体でこうするというシバリがあって自由にできません。駄目な人が権力を持っていたりしてストレスがたまります。大学にするか、あるいは私塾などの方がいいでしょう。

子供の学校がダメらしいと思った人は次の本をおすすめいたします。

英語は音読で伸ばせ! 子どもを英語好きに変える、中学からの勉強法英語は音読で伸ばせ! 子どもを英語好きに変える、中学からの勉強法
(2010/12/22)
安河内 哲也

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音読中心で学校授業をいかに補完していくかというヒントが書いてあります。
もちろん大人がこれから勉強していくにも役立ちます。

それから、「やさしくたくさん」の考え方についてはこちらです。一読をおすすめします。

英語は「やさしく、たくさん」―中学レベルから始める「英語脳」の育て方 (講談社パワー・イングリッシュ)英語は「やさしく、たくさん」―中学レベルから始める「英語脳」の育て方 (講談社パワー・イングリッシュ)
(2003/12/12)
伊藤 サム

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英語教育雑感

2012.11.25.20:30

ごぶさたでした。新しいコメントがあったので、英語教育についてちょっと書くことにします。

私の考え方は、基本的に、英語教育について全国民に一律の目標設定をすること自体無理があるということです。

というのは、ある程度まで英語が使えるようになるためにはものすごく時間がかかるということです。仮に「いちおう仕事で使える」というレベルをTOEIC800くらいと想定すると、標準的な高卒レベル(英検凖2級~2級程度)から必要な学習時間はおよそ2000時間になります。

どんなに頑張っても授業だけでは絶対に足りません。
したがって、大学の英語専門コースでも、授業時外の時間にたくさん勉強させる体勢をとらないと目標は達成できません。そして卒業要件としてハードルを設けるしかないでしょう。
一方、英語専門以外の一般英語では、学校が学生の英語力を担保するという考え方をあっさり捨てて、1.対面でしかトレーニングできないことを授業で集中してやる、2.学生の自発的な英語学習をサポートする体制を作る、というポリシーにした方がいいと思います。

英語教員の英語力が高くないことが問題だというのはその通りです。
ただそれだけはなく、学校教育全体にある外国語教育観が、実際に即していない部分もあると思います。
つまり、語学上達には絶対的にインプット量が必要だという自覚が足りないのです。
外国語には「やっているうちに何となくわかってくる」という無意識的な習得過程も重要なので、教えたことをすぐにテストで答えさせるというフォーマットだけでは十分ではないのです。そこで、多読・多聴を授業時間外でやるようなしくみを作らないと上達が限られます。
このあたりは第二言語習得理論の話になるので、詳しくはその専門の本を見てください。
それと、音声面の指導が非常に弱いことが学校教育の弱点です。

そもそも私は、鈴木孝夫氏の言うように、英語を完全選択科目化してもいいと思っています。
あるいは、全員が勉強するものを旅行などで使えるサバイバル英語程度に限定して、TOEIC800くらいまでをめざすコースは限られた人だけでいいということです。
中途半端にできてもあまり役に立ちません。仕事で使うとなると、使えるか、使えないかしかないので、TOEIC500か600くらいできたところで、通訳なしでは通じないので、できないのと同じです。500や600は、あくまで、800以上にいくための過程なのです。言いかえれば、やる以上、そこまで行かないとムダになると思います。

英語を選択にすれば、教員の数も限られますし、優秀な人だけが教員になります。英語教員の需要が多いのでたいしたことなくても教員になれているわけです。たとえば中国語やフランス語だったら相当にできても教えることだけで生活はなかなかできません。

このまえアメリカに行ったときに、中学生の塾で教えているという人が一緒にいたのですが、トイレに行きたくなったときに、日本語で「トイレ!」と叫んでいました。驚いたことに、それでなぜか通じていました(^_^;
しかし、"Where is the bathroom?" という簡単な英語が言えないのでしょうか? たぶんその人はトイレを普通 bathroom と言う、という知識はなかったと思います。
それからレストランに行っても、eggplant とか spinach という単語がわかりません。
また「発音がよすぎて聞き取れない」と言っていましたが、私は心の中で「違います、それはあなたの勉強方法が間違っているのです」とつぶやきました。
中学校で教える英語ってほんとに使えないんだなと実感した経験でした(笑)
といいますか、英語教育の目標設定をどこにおくのか、という難しい問題があるかなと感じました。

私はフランス語やドイツ語、中国語はなんとか本を読むことはできますが、会話ではたぶん上と同じ状況だと思います。
フランス語会話などはまったく不要ですから(フランスに行きたくならない限り)、それはムダな勉強として「捨てる」のもありだと思います。
しかし英語の場合そこまで捨ててしまってはまずいかもしれません。
これは「サバイバル英語」であって決して「会話」というようなレベルではありません。定型的なものを覚えるだけです。

今のところ、全体としてはまだまだ、英語の本を読めるところへ持って行こうというのが英語教育の目標として全員に課されているように感じますが、現実的にそれは無理です。そこまでどれだけの学習時間が必要かということを考えるとそれを全国民の義務として捉えることは非現実的だと思います。そこまで行くのは少数の希望者だけにして、他の人はサバイバルレベルに限定する方が実際的かもしれません。

本がすらすら読めるというのはTOEIC900より高いレベルであるというのを知っておく必要があります。
900ではまだけっこう読むのに時間がかかると思います。そこを頑張ってたくさん読んでいってだんだんできるようになるのです。

ですから、そもそも、英語の授業だけで英語が「使える」ようになるはずがありません。使えるというのはいかに大変なことかを理解する必要があります(ただ、英語の教員が、「使えるようになるにはどうしたらいいか」ということを知らなかったり、教えられないという問題はあります)。また、「トイレはどこですか」も言えないのは困る、という問題については、それならばそもそもそういうレベルにフォーカスした勉強に集中するという選択もあるということです。高校レベルのリーダーなど捨てて、簡単な英語を大量にインプットするという学習をすればいいのです。
そのへんが、今の学校教育は「巨大なる中途半端」に陥っているではないかと思います。「中途半端はやめよう」というのがここでのメッセージです。本気でやるならもっと時間をかけねばダメです。
プロフィール

SH

Author:SH
東京大学大学院総合文化研究科出身。現在、地方の公立大学教授。第二言語習得研究・音声学等の知識をもとに25年以上にわたり英語教育に携わる。
TOEIC990点。
英語のほかいろいろな言語をやってみました。フランス語・ドイツ語・中国語も本を読むことはできます。現在は中国語とロシア語を学習中で、自分の外国語学習理論による多言語習得をめざしています。ハングル能力検定3級合格。

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