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『英語教育が亡びるとき』

2010.04.28.23:25

こちらの本を借りてきました。タイトルがすごいですが・・

英語教育が亡びるとき―「英語で授業」のイデオロギー―英語教育が亡びるとき―「英語で授業」のイデオロギー―
(2009/09/28)
寺島 隆吉

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サブタイトルの通り、「英語で授業せよ」という文科省方針に反応して書かれている本です。

さらっとしかみていませんが、ポイントとしては、教育の現場(特に底辺校といわれるところ)を知らない、ということと、「英語ができなければ駄目だ」という思想のイデオロギー性を指摘する、ということに主眼があるみたいな感じです。

第一について言えば、それはそうでしょうねという感じです。
英語で授業というのはどういうことをイメージしているのか私ははっきり理解しているわけではないのですが、もしコミュニカティブな授業を言っているのであれば、それは今のような40人クラスと授業数という枠を維持したまま導入はできないだろうということです。
高校英語についてはもうこれは必修をはずすしかないと思います。中学まででもう英語はいい、というのを認めてあげた方がいいです。そして英語選択をした生徒のクラス人数を少なくすれば教員が余ることもないでしょう。

「英語は必要だ」というイデオロギーからはもう離れた方がいいですね。正確に言えば「エリートになりたい人には、英語は必要だ」というのが正しいのです。そんなものになるつもりのない人は、「英語ができれば得をする」であろうけれども、特にできなくても生活はできるわけで、その、「英語を話せるようになるためのコスト」と、できるようになることでのメリットをはかりにかける「コストパフォーマンスの思想」がいると思うのです。

政策をつくるような人はエリートですし、学校時代に苦労もなく英語ができた人でしょうから、できない人のことがわからないのです。日本国民の外国語習得能力について大いなる誤解をしているのです。

私はフランス語、ドイツ語、中国語の文献は読めますが会話はまったくできません。そういう会話の必要はまったくないので、それができるようになるだけの投資をする必要はないのです。ですから英語にしたって、「本が読めればいい」という昔ながらのスタイルだって、ニーズのよっては十分ありでしょう。

学校の英語にあんまり期待を持たず、大学の第二外国語程度に基礎の基礎だけさらっとやっておいて、あともっとできるようになりたいならこういう勉強法をしなさいよということを教える、くらいで十分なんじゃないでしょうかね。英語を特に必要としない人にはそれ以上はいりませんわね。ですから学校教育としては、言語という現象についての視野を広げるという教育意義も重視してやっていいですね。数学が論理的思考を鍛えるためにあるのと同じようなものですよ。

イデオロギーといえば、英語=スタンダードというグローバル化というものに無条件に従うのは・・ そもそもわれわれが英語を習得するのに多大な時間を費やしている分を、英語ネイティブは専門の勉強にあてられる、という絶対的な言語的不平等があるという状況を無条件に肯定していいわけはないのです。アメリカにノーベル賞が多いなんてあたりまえのことですよ。英語をやらないでその分専門ができるんですからね。しかし、基本的に霞ヶ関はアメリカ追随ですからね。

というわけで私の理想をまとめれば

全国民が学ぶ英語は、英検4~5級程度まで。20人以下学級。教科書にはCDをつける。発音重視。
第二外国語として中国語か韓国語も5級相当まではやる。
高校からは外国語を選択にする。指導内容を大幅に自由化し、学校による差をつける(高度なところまでやりたい学校はやればいい)。少人数化を推進。多読多聴を導入。
センター試験(またはそれに代わるもの)は、リスニングを50%にする。

こういう体制が整ってきたときに、英語で授業というのも可能になってくるかもしれません。

ただ、この寺島氏の論は、「英語で授業できるほど生徒のレベルは高くない」ということを強調しているので、やや、論点がかみあっていない印象があります。「おまえは底辺校の現実を知っているのか」というややルサンチマン的な表現もみられますね。最初歩の生徒に対してもコミュニカティブな授業はできます。ただ、これはそれなりに時間のかかる方法なので、今のクラス数・授業数などの体制下では意味がないということでしょう。
日本語を用いた、明示的な文法学習の必要も言っていますが、それが今のやり方でいいのかどうか、インプットとのかねあいはどうするのかとか、そういうメソッドの問題に展開していないのは物足りない点でした。
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再び『外国語学習の科学』

2010.04.26.00:02

外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か (岩波新書)外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か (岩波新書)
(2008/09/19)
白井 恭弘

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オーディオリンガル擁護派がいまも存在することにびっくりしたわけですが、今一度、現在まで第二言語習得論が到達したところを確認するため、この定番入門書を再びめくってみました。

結論は次のようにまとめられています。

「(1)言語習得は、かなりの部分がメッセージを理解することによっておこる。
 (2)意識的な学習は、
    (a) 発話の正しさをチェックするのに有効である。
    (b) 自動化により、実際に使える能力にも貢献する。
    (c) ふつうに聞いているだけでは気づかないことを気づかせ(1)の自然な習得を促進する」 p.115

これでかなり明確ですね。この本は本当に過不足なくこの分野の基礎知識がみなわかるようになっているので、特におすすめです。

これを、教育政策論に応用するならば、いかにしてインプットの量を確保しつつ、そこに意識的な文法・発音等の学習を組み合わせていくか、というストラテジーを作るか、ということになるのです。

わりと簡単にできそうなことはいくつかあります。

たとえば「3単現のs」はひじょうに習得が困難な項目であることがわかっているので、こういうものは中一の最初の頃に持っていくのはやめて、すでにわかっている習得順序の知識をシラバスの反映すること、とか

白井氏もp.135で述べているのですが、高校・大学の入試のリスニング比率を50%にする、ということです。また、伊藤サムさんなどが主張するように、教科書をすべてCDつきにし、これをテストする、ということがあります。そうすれば、いやでも、音声的インプットの重要性が意識されるでしょう。これだけでも相当に違ってきます。

発音の練習があまりに少なすぎるので、もっとカリキュラムで大きく扱うことです。

試験について言えば、大学入試に限定せず、英語力を見る試験をレベル別に作ればいいと思うんですよね。で、英語はそれを利用しろと。TOEICはビジネスに傾いた内容なので、もっと一般的な内容で、リスニングが50%のマークシート試験があったらいいと思います。TOEICがはやっているのはそれに代わるいいテストがないからとも言えますよね。英検のように合格・不合格じゃなくてスコアで出るような。そういうのを文科省が作るとTOEICから営業妨害と言われるかもしれませんが、大学入試専門じゃなくてそういう誰でも受けられるテストを作ってそれを入試でも利用するというふうにしたらどうかな、などとも思いますがいかがでしょうか。で、最初にレベル別というのは、TOEIC Bridge みたいなジュニア版もあっていいし、一つのテストだけでまかなうのは無理だと思いますので。まあ難関校が二次試験でむずかしい英文を出したければそれでもいいですけど。

で、まあ、「日本人は六年英語を勉強しても話せない」などとよく言われますが、簡単に言えばインプット量が不足している、これにつきるんです。ですからとりあえず今の英語授業スタイルがそんなに簡単に変えられないならば、生徒の人は、自主的に英語を勉強するときに、文法問題とかじゃなくて徹底的に多読・多聴をやっていって、授業での精読とバランスをとっていきさえすれば、相当のところまでいけるんじゃないかと思うんですよね。授業を内容・タスク中心にするとかフォーカス・オン・フォームだとかいうのは当面困難な話ですので、文法訳読での授業時間の数倍の時間をそういうインプット学習にあてて自主的にバランスをとっていくというのが、いま学生でいる人の実際的な戦略じゃないかという気がします。塾なんかに通うんじゃなくて、そのお金を多読多聴のための本代にすると親に申し入れましょう。

で学校の方では、教科書は和訳先渡しをやって時間を余らせ、その時間で少しでも多読多聴を取り入れて生徒にアピールするのがいいと思うんですよね。

theme : 英語・英会話学習
genre : 学校・教育

英語教育界の保守派論客たち

2010.04.25.00:57

山田雄一郎さんの本をもうちょっと借りてきてみました。

英語教育はなぜ間違うのか (ちくま新書)英語教育はなぜ間違うのか (ちくま新書)
(2005/02/08)
山田 雄一郎

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「英語が使える日本人」は育つのか?―小学校英語から大学英語までを検証する (岩波ブックレット)「英語が使える日本人」は育つのか?―小学校英語から大学英語までを検証する (岩波ブックレット)
(2009/02)
山田 雄一郎 斎藤 兆史

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これを見て、山田さんてオーディオ・リンガルの信奉者なの? と驚きました。欧米で主流のコミュカティブ・アプローチへの反感に貫かれた、英語教育界としては「保守派の論客たち」という位置づけかな、という印象です。

「私がトレーニングとして一番きちんと作られていると思うのは、オーディオリンガル・メソッドです」(英語が使える日本人・・ p53)

断言してますね。

「コミュニカティブ・アプローチの提唱者もこの種の訓練があってこそのコミュニケーションだと、その重要性を認めているのですが、日本ではどういうわけか上澄みだけ取ってしまって…」 同

そんなこと提唱者が言っているんでしょうか? 中にはそういう論者もいるのでしょうか、私が読んだ限り、「オーディオリンガルをやってこそコミュニカティブ・アプローチが可能になる」なんてことはけっして通説ではありませんよ。

オーディオリンガルがいいというなら、実際にそれを実証的に証明した研究にどういうものがあるのか示してほしいですね。Lightbownの本などには、それと反対の実証的研究が山のように引用されているんですから・・

どうも、「コミュニカティブ・アプローチ==上っ面で会話だけやっているメソッド」という印象に、読者を導入しようとする意図が感じられます。
この論者たちに欠けているのは、「インプット理論」の衝撃をどう受け止めるのか、という視点です。どうもインプット論と正面から向き合うのを回避した論議ではないかと思えるのですね。

クラッシェンのインプット理論の衝撃が広まって、しかし、その行きすぎを是正するという形で第二言語習得論が発展してきた・・という経緯を理解していないかのような物言いが気になります。

ということで、ここの人たちは、第二言語習得論を認めず、文法中心の教授法を擁護する立場の人である、ということが明らかになりました。

ただ、そうは言っても、私としては、コミュニカティブ・アプローチで英語など日本語とかなり異なる言語を身につけるのは、相当な授業数とクラスの少人数化が必要なので、英語を選択制にしない限り導入はできないだろうと思っています。また、フォーカス・オン・フォームも、教科書やマニュアルが整備されない限り、一部のスーパー教師にしかできないワザであろう、と考えています。現実的に、今の学校英語にインプットを導入するのは、多読が一番いいと思います。

ちょっとけちつけたみたいな文章ですが、ここにあげた論者はいずれも「日本人が英語を身につけるのは途方もない努力が必要なものなので、簡単にできるかのような幻想を描いている語学行政はまちがいだ」という論旨を展開します。その点ではまったく同感です。

それと、山田さんの言語政策案がわかりました。それによると高校以降は第二言語は選択となるみたいです。日本語の教育と連動して、言語力全体を高めるという目標を設定してます。この考え方は悪くないと思います。

やはり、平泉試案の方向性でいいのではないでしょうか。全国民レベルでは、英検4~5級くらいで十分です。それは、とても話せるというレベルではありませんが、外国語を知ることで言語力が豊かになった、という教育目標として考えれば十分です。実用的には片言・サバイバル英語になります。それと発音と文法の基礎の基礎だけ習っておけば、あとで英語をもっとやろうという時の基礎ともなります。そして、その後も英語を選択した生徒にはかなり集中的なカリキュラムで2級程度までは到達させたいところです。このように到達目標の複数化が必要だということでは、私はこの論者たちと一致します。

ですので、特に高校の英語は問題多いですね。学習指導要領と生徒の実態との乖離がひどいのじゃないかという感じです。中学までで「私はもう英語はいい」という生徒がいることを認めてはどうでしょうか? 英語を選択制にし、高校や学科、コース単位で英語のないカリキュラムもあり、というのを現実的に考えた方がいいかもしれません。高校の英語の授業がまったくわからず無駄な時間を過ごしていただけの人がどれほど多いことでしょうか。選択制にしても、選択した人は少人数クラスにすればいいので英語の先生が失業するわけではありません。

theme : 英語・英会話学習
genre : 学校・教育

イギリス英語ロンドン12か月

2010.04.25.00:39

イギリス英語ロンドン12か月イギリス英語ロンドン12か月
(2007/12/22)
津野 志摩子

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最近、イギリス英語の本をよく買うのですが、これもなかなかいいですね。イギリス情報も豊富で読んでておもしろいです。リスニングだけではなく総合書ですね。レベル的には英検準2級以上て感じです。
姉妹編みたいなのに『イギリス暮らしの英語表現』があって、構成も見た目も似ているんですが、よく見ると違う出版社だったりします。こっちは絶版みたいで残念ですが、マケプレではまだ買えますね。

ただ私は、英語をやるのに別にイギリスやアメリカと関係なくやっても差し支えないとは思っています。私はイギリスやアメリカにも興味はありますが、それはどっちかというと趣味の領域ですね。

ですから、発音についてもイギリス・アメリカがまざってもかまわないという立場です。

英語教育とコストパフォーマンス

2010.04.24.11:02

図書館から借りてきた、英語教育についての岩波新書二冊です。


日本人はなぜ英語ができないか (岩波新書)日本人はなぜ英語ができないか (岩波新書)
(1999/07)
鈴木 孝夫

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この本はどうもタイトルと内容がやや違っているような感じもあります。多くは鈴木氏の持論である、「発信型の英語にしろ」という主張を展開するものです。
まあ、評論家として有名な人のことですから、論旨の展開は手慣れた感じで、明快ではあります。
英語教育についての提言は、簡単に言えば、「英語はすべて選択科目にしろ」ということです。その上で、教材をすべて日本のことにし、日本について英語で発信できるエリート的人材を養成しろ、ということです。

まあ、裏を返せば、すべての人が、英語なんてむずかしいものをやる必要はないんだ、ということにもなります。文科省は「高校を卒業するすべての国民は英検準2級~2級レベルの英語力をつける」なんていう、現場を知る者には非常識としか言いようのないありえない目標を掲げていますが、まったくのナンセンスだということになりますね。

ただこの本自体としては、日本の英語教育の現状についての分析は不十分であるように感じます。また、第二言語習得研究の成果についても触れられていません。

しかし、鈴木氏は、「英語というのはそう簡単にできるようになるものではない」ということをよく知っている立場から言っていることはわかります。だいたい、英語が実際にあまりできない人は、英語ができるようになるためにはどれだけの努力が必要なのか、わかっていません。「話せるようになる」なんてことはけっしてそんなに簡単なことではないのです。それが簡単にできるだろう、学校教育だけでできるだろうというのはまったくの幻想にすぎません。少人数クラスにして、最新の教授法にして、教師の質を上げ、授業数を何倍にもするといったコストを徹底的にかける必要があります。そんな予算も出さず成果だけを求められても話になりません。

要するに、多くの人は「英語ができるようになるためのコスト」を知らない、ということではないでしょうか。「コストパフォーマンス」という点から言語政策を考えるとよい、ということになりますね。例の「捨てる英語」ではないですけど、現実的に、「英語を勉強することがコスト的に見合っていない人」というのもあると思うのです。つまり

「英語はむずかしい」

のです。英語は簡単だというのは幻想です。もしこれが、

「アラビア語を、意思の疎通が困難なくできるまでに習得する」

と言われれば、それは相当むずかしいことだろうな、と思うのでしょうが、日本語話者にとっての英語は、アラビア語と同等のむずかしさがあるのです。

というわけで、鈴木氏の主張は、おおむね、1974年に出された、あの「平泉試案」の内容に近いといえます。つまり、一般国民の英語学習の負担は思い切って軽減し、一部の人に限定してもっと集中的に英語教育を行う、ということです。その後あの試案は不毛な論争に終わってしまいましたが、「英語はむずかしい」という基本認識があるならば、この試案は今なお検討に値するといえます。

あと著者の指摘で記憶に残ったのは、「一般に世界では、外国語ができる人というのは弱者であることが多い」」ということです。つまり、外国語をやるというのは、どうしてもやらねばならない切迫した事情があるからやるものであって、外国語が楽しい、好きだからやるというのは少数だということなのですね。日本では歴史的な経緯から、外国語をやることが無条件にポジティブなことだと認識しがちです。しかし、外国語を学ぶという多大なコストは、回避できたらそれに越したことはない、という考え方の方が普通なのかもしれません。そういう外国語についての認識のずれによって、日本では「外国語をやることのコストパフォーマンス」という発想が出にくいのかもしれません。用もないのに楽しそうだから外国語を始める、というのもあっていいのですが、そういう趣味の世界は、言語政策とは切り離して考えねばなりませんね。

もう一冊読みました。

日本の英語教育 (岩波新書)日本の英語教育 (岩波新書)
(2005/04)
山田 雄一郎

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要は、「どういう日本人を育てるかという視点が今の英語教育の政策にはない」ということを言っています。それはまったくその通りですが、もう少し具体的な提言がほしい気もしますね。著者が理想とする英語教育のシステムとはこういうものだ、とはっきり提示すればよいのではないでしょうか。はっきりとひな形を示して、文科省にその政策を採用させようとするのが政策論の専門家というものでしょう。

それと、第二言語習得研究がまったく反映されていないんですよ。英語を学ぶには「文法の学習とその応用練習のくりかえしが大切だ」などと書いていますが、そういう英語教育観というのがちょっと深みを欠いているなと思います。つまり、「そもそも外国語の学習とはどういうものなのか」という問いが、最新の研究を踏まえてしっかりとおさえられ、次に、言語学習として設定する目標を定め、それに到達するための、日本語話者に最適化された教育システムを設計する、というプロセスを言語政策論には期待しますね。

当然ながら、その「目標設定」は全国民一律であるはずもないので、もし複数コースを考えるのであれば、それもみな設計しておく必要があります。

この本は、「英語の習得にはコストがかかるということを忘れて浮かれ騒ぐな」という論旨だと理解しましたが、それにはまったく賛成です。ただ、言語習得についての洞察をもう少し入れたかったという感じです。


ということで、以下は私の私案です(笑)

「英語はむずかしい(日本語話者にとって)」という前提に立つならば、全国民が準2級レベルに達するなんてことは絶対にあり得ません。そういうことを考える人は、よっぽどどうかしてます。
教育次第で到達可能なレベルは、4級程度だと思います。
ですので、もし高卒まで英語を必修にすると言うのなら、ベーシックな目標として4級レベルを設定し、それを高校までにやる、というのが実際的です。そのかわり、音声面もしっかり指導するのです。
それ以外に、さらに英語を進んでやりたい人のためのコースを別に設けます。つまり、イギリスで言う「Aレベル」みたいなものです。高校によっても差をつけるわけです。あるいは、英語をほとんどやらない高校があってもいいかなと思います。
大学側の対応としては、まず大学入試でその大学独自の英語試験を課すことを、原則禁止します。ただ、英語系の専攻の学科は例外としてもいいでしょう。
そのかわり、TOEICに似た、語彙数を3000語くらいに制限して、リスニングとリーディングを同等に扱う実力テストを作ります。一種の資格試験みたいなものにするわけです。上位者はほとんど90点以上で差がつかなくなりますが、それでいいのです。大学入試は、他の科目で選抜すればいいです。国語なんていくらむずかしくしてもかまわないと思います。
大学での教育は、このような高校生の多様化を踏まえて、さまざまなレベル別の選択科目を用意する形になります。専門書購読でも英語再入門でも何でもいいでしょう。大学の方針により必修としてもいいですが、達成度別クラスにしないといけません。

忘れてはいけないのは

「授業だけでは絶対にできるようにはならない」

ということです。なぜかといえば、それだけではいくらがんばってもインプット量が絶対的に足りないからです。
ですから授業では、授業でしかできないことをやるのと、勉強のやり方を教えるということをやります。
授業でインプット形式を多少取り入れれば、生徒に対し、「インプットは大切だ」というメッセージになります。ですから、量としては不十分でも、多読などを積極的に取り入れるべきでしょう。
あと、発音指導など、やはり対面指導でないとやりにくい要素を、授業では重視すべきです。

もう一度書きますが

「外国語教育の政策は、コストパフォーマンスをよく考えよ」

です。
そう考えると、私は、高校まで全員必修というのは、少し無理があるかもしれないと思っています。
希望者に限定して、少人数で、よいメソードで、教えた方がいいでしょう。

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theme : 英語・英会話学習
genre : 学校・教育

プロフィール

SH

Author:SH
東京大学大学院総合文化研究科出身。現在、地方の公立大学教授。第二言語習得研究・音声学等の知識をもとに25年以上にわたり英語教育に携わる。
TOEIC990点。
英語のほかいろいろな言語をやってみました。フランス語・ドイツ語・中国語も本を読むことはできます。現在は中国語とロシア語を学習中で、自分の外国語学習理論による多言語習得をめざしています。ハングル能力検定3級合格。

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