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SLAからの英語学習法: 『英語上達12のポイント』

2014.11.30.23:47

門田修平さんの英語学習法の本が出ました。
読み終わったら書こうと思います。これまで、白井さんの本はあったんですが、白井さんの本は、SLAの紹介としてはいいとしても、学習法本としてはもう一つ練られていない印象を受けました。その点、門田さんは、音読やシャドーイングのブームを作った立役者でもありますし、何が書かれているのが興味津々です。SLAからの英語学習法本の決定版となるかも・・という予感ですね。


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(2014/11/22)
門田 修平

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「翻訳者養成型」英語教育からの脱出

2013.12.01.13:18

多くの日本人は、ゼロから英語学習を始めるわけではありません。
すでに学校での英語教育をたくさん受けているわけです。
ですからそこでのメリットとデメリットを勘定に入れて学習方法を考えないといけません。
英米の英語教授法の学者がいう理想の方法をそのまま日本に持ってこようとしてもどうしようもないのです。
インタラクションの中で学んでいくのがベスト、というのは正論かもしれませんが、週3,4回で1クラスが40人、教室の外に出れば英語を使う機会はどこにもない、という環境で、それをやってどうするというのか、という問題があります。その国の英語教育法はあくまでその国の人がテイラーメードで考えるべきものです。

一般の人は英語教育の現状に漠然とした不満を抱いていますが、どこをどうしたらいいのか、ということはよくわかっていません。
会話の授業が不足していると考えて、英会話スクールに通ったりします。
「聞き流せばよい」という教材もありますね。
こういうものは、既に文法や単語の知識は十分にあるが、音を聞いたり実際に会話をしたりした経験がないのでできない、という人にはある程度の効果はあると思います。
ただ、基本的に基礎ができていない人はどうにもなりません。

明治以来の英語教育は基本的に「翻訳者養成」の教育であったと思われます。欧米の知識を日本語に直していくことが文明開化、近代化に必須だったからです。それはそれ以前の漢文の伝統をふまえたものでした。
そこでは「読めればいい」わけで、聞くことや話すことは必要とされませんでした。
それを効率的に進めるための方法が「訳読」であって、これもまた漢文読み下しという伝統の延長線上にあります。

問題は、時代が変わってきたのに、いまだにこの「翻訳者養成型の教育法」が生き残っていることにあるのです。

もちろんその外国語の用途によっては、それでいいということもあるのです。私も、研究上、フランス語・ドイツ語・中国語の文献を読むことがたまにあります。辞書を引いてだいたいの意味はわかりますが、会話はいっさいできません。しかし、それは必要ないのですから、やらなくてよいのです。
英語だって、話すことを捨てて、ネットで情報が検索できるという「読むこと」のみに特化した英語力というものがあったっていいのです。

この「翻訳者養成型」教育は、本来、エリートのためのものです。
原書ががんがん読めていかないといけないのです。
ところが、このエリート型教育が全国民に対して行われてしまったために、実際にこの教育の目的である「本がなんとか読める」という水準に達する人は、5%もいないという状況です。
読めるようにならなければ、やってる意味はありません。中途半端にやってもしかたないのです。
それならいっそ、本や論文を読むことはあきらめて、ごく簡単な身の回りのことを最低限言える、という目標に切り替えればいいのでしょうが、そういうわけにもいかない、ということです。つまり高校卒業までにいまの中学レベルまで、読めるだけでなくて言えるようにするという目標を立てればかなりの人が英語を多少は話すことができるようになりますが、エリート養成ができなくなるので文科省は困るのです。それというのも結局は、「全国民に対して同一の到達目標を定める」という基本方針をやめられないからです。ですが、その方針があるままだと、結局エリート養成も、一般の人が最低限の英語ができるというのも、どっちも中途半端になってしまいます。

またもう一つは、大学に対してはやたら厳しくなってますが、「中等教育における質の保証」というコンセプトがこの国の教育政策にはあまりありません。
なぜ英語がまったく中学一年程度もできないのに大学に入る人がいるのか、といったら、それはそういう人を高校を卒業させるからですし、原級留置もないわけですね。落ちこぼれを絶対作ってはいけないのか(現実は落ちこぼれているがそれがいないという建前を守る)、落ちこぼれが多少出るのは当然だと考えるのか、という問題でもあります。

さらに言えば、本当に全国民に英語は必要なのか、ということです。現実には、必要ではありません。必要なのは、エリート層です。教育政策としては、本音としてはエリート層の質を確保したいのだが、他の人はやらなくていい、というのは「到達目標については平等にする」という建前に反するのでそれは言えないわけです。ですから、英語なんてあいさつとかトイレはどこかくらい言えればいいような人までエリート層と同じ目標が設定されてしまっている。こういう矛盾があるんですね。

まあ、そういう問題がありますが、ともかくも、今のエリート層は英語が読めるだけではだめで、オールラウンドでなきゃいけないということはみな気づいていて、いろいろやろうとしますが、全員に対してやらねばならない建前なので(まあ、セルハイというものはありますが)、それだけ予算は確保できない、という現状です。教員養成も変えないといけませんが、こっちは大学の「自主性」に大幅に任せてしまっているのでなかなかすぐにはいきません。

教育政策の批判はこのくらいにして、それでは、この「翻訳者養成型」の教育を受けてしまった人が、そこから「オールラウンド型」に軌道修正していくか、という道を考えてみることにしましょう。

この教育法のネガティブな面は(もちろんポジティブな面がないわけではありませんが)

1.英語を日本語に直して理解する癖がついてしまっていることがある。
2.文字と音声が一致しないので、読んでわかってもまったく聞き取れない。
3.英語の音声的な特徴についての基礎知識を教わっていない。

この3つがあります。
ですのでここをケアする学習法を入れれば、今までの知識を、オールラウンド型に切り替えていくことができるでしょう。
ただし、基本的な文法や単語があやふやな人はそれだけではだめなので、別のやり方が必要です。

ケアするのは簡単で、一つはずばり「多読」です。やさしいものの多読ですね、特に。
第二点は、「意味のわかった英文の読み上げ音声を徹底して聞く」です。
第三点は、「英語の音声面についての基礎知識を一回ちゃんと勉強しておく」です。

第一点については、多読のガイドブックはいま多数出ていますから、それを参照してください。ただ、「辞書は絶対に引かない」はあまりこだわらなくてもいいだろう、と個人的には思います。これは、「訳読病患者」の重症の人のためのアドバイスで、知らない単語があるとまったく先に進めないという人のために、わざとそういう言い方をしていると思ったらいいです。ほとほどに、たまに辞書を引くのはいっこうにかまいません。とにかく、「日本語に訳さずに英語だけが頭の中を流れている」という状態を長く持続して経験するために、引かない方が効果的なのだ、という意味です。知らない単語はチェックだけしておいてあとでまとめて調べたりするのは問題ありません。

第二点は、自分のレベルにあったものなら何でも、音源つきのテキストを買って聞けばいいだけです。いま、ほとんどの教材はCDがついているが音声ダウンロードができますね。学校の教科書だけCDがついていないのは世界七不思議の一つだと思っています。
なおこういう教材は、和訳や解説がついていることが多いです。最初から和訳を見てもいっこうにかまいません。
ある程度までやったら(80%くらい)次の教材に行くとよいです。というのはこういう本をやりながら語彙を増やしていくのがよいからです。新しい語彙も耳からも覚えることができますね。
「読める」のと「聞ける」のレベルと一致させていくことです。この作業は、日本の英語教育の最大の欠点を補うものなのでとても重要です。
英語字幕付で英語のドラマを見る、というやり方もよろしいと思います。

第三点は、これも最近そういう本が出ていますので一冊やればよいです。現在の私のおすすめは、野中泉『脱カタカナ英語の処方箋』です。
そういう基礎知識を得た後、上の音源つき教材を音読するとか、シャドーイングするとかの練習を入れればよいでしょう。

なお、会話の練習もしたいという人は、料金の高い英会話スクールではなく、安いオンライン英会話で十分です。ある程度量をこなすのが大事なので、高いと続きません。


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英語の教育に欠けているもの

2013.11.15.20:13

韓国語の学習経験から英語学習の話になりますが、項を改めますね。

私がこれまでにお世話になった韓国語学習本に、『前田式中級文法トレーニング』という本があるのですが、これは、リーディングの文章があって、それにいろいろ文法解説や練習問題がついている、という、英語の教科書に近いような形です。
やはり、こういう形は非常に進めやすい、と感じました。

英語の場合も、学校でやっているように、ある英文を読んでいって、それに文法解説を加えるという方式が、根本的に間違っているわけではないと思います。
ただ、足りないところは、そのように「読み」としてわかったものについて、さらに音声的にもインプットする、そして、それを口に出して反復する、というトレーニングなのです。つまり、第一には、音声と文字を一致させるというプロセス、第二には、音声を発する筋肉運動の回路を構築するという過程です。

そこに、音読やシャドーイングという活動の重要性があります。
これについてはあまり英米の人は言っていないかもしれませんが、先に書いたように彼らは「母語と英語との差にまつわる問題」をそれほど意識していません。日本には川島さんや門田修平さんの研究があり、音読やシャドーイングの研究については日本の方が進んでいると言うべきだと思います。

ですので、リーダー的な教科書自体に問題があるわけではありません。
ただ、音声を含めた定着活動を十分にしないまま「目で見てわかる」ことだけで無理矢理に進度を進めて、どんどん難しいものを読ませようとすることに問題があるのです。ですがこれは、大学入試に対応するためという面があるので、入試が変わらないと根本的には変わりません。「読む」というスキルだけ突出して高いものを求めるという入試が変わらないと、4技能をバランスさせた授業をやりたくてもできないだろう、ということです。
たぶん「駄目な英語入試問題を批判するサイト」みたいなものをたくさん作って世の中の流れを変えないといけないですね。
言っておきますが、大学の英語教員も、40代くらいまでの人はかなりまともなんですよ。
問題は、お年を召した古い考えの方々です。こういう人が引退しないとなかなか変わりそうもありません。

ですが、入試改革のことはひとまず置いて、考えられる授業改革は次のようなものがあります。

・教科書にCDをつける
・英文の和訳は先に渡してしまい、授業では英語の定着活動に時間を割く。
・文字と音声を一致させる。その際、音連結など音声面の基礎知識を教え、正確な音読ができるよう指導する。
・音読を評価の対象とする。
・やさしいものの多読を取り入れる。

こういうことが、日本語母語話者に対して、30~40人もクラスの人数がいるという条件下でできることだと思います。会話の練習など、その人数のクラスでやってどれだけの成果があがるのか疑問です。今は安価なスカイプ英会話もあるのですから、こういう多人数会話授業の形態は少し時代遅れではないでしょうか。まずは、正確な音読ができるように指導することが先決のような気がします。

英語の教員養成システムに問題が大きくあることはもちろんですね。
小学校にも英語の教員が必要になってきているわけですが・・
しかし、今の教員養成のしくみというのは、どの教科であっても、その科目の教え方については「なんとか科教育法」とかいう科目の単位だけしか要求されていないのです。あと、どの程度「教え方」を教えるかはその大学の判断に任されているのですが、教職関係科目はとてもたくさんあるので、実質的に「なんとか科教育法」以外に、その科目の「教え方」は教えていないと思います、多くの場合は。
ですから、英語に限らず、どの教科でもその科目の教え方についてはほんとうに最低限のことしか教えられていないのが今の教員養成システムで、教え方を勉強したい人は大学院に行くしかないのが現状です。

しかし英語を教えるというのは、単に知識を伝達するというだけでなく、スポーツのコーチのようにスキルを上げるためのトレーニングを提供するという面が強いのです。ですので教え方の可否がとても影響します。しかし教員養成システムは基本的に「知識の伝達」を中心に設計されているのでそこにすれちがいが生じるのです。

文法書だけで英文法はマスターできない その2

2013.09.16.17:20

前にもそういう記事を書きました。
しかし、中学高校で文法偏重的な考え方がしみこんでしまって抜けられない人も多いようです。

やりなおし英語本についてこの間書きまして、『NHK CD BOOK 基礎英語』などを紹介しましたが、
「英文法をしっかりマスターしてからこういう本の音読に取り組んだ方がいいのでしょうか」という質問があったりします。
英語を「ちゃんとやること」=「文法を完璧にする」という思考パターンがしっかりと入ってしまっていますね。

ですから、「文法書だけで文法はマスターできない」と書いたわけです。
音読などの学習をする前に「英文法をしっかりマスターする」という日は永遠に訪れません。
そもそも、文法書で文法はマスターできないからです。

ではなぜ文法書を読んでおくのかというか、「全体のしくみを何となくわかっておく」という、全体のイメージを得るためなのです。
ですので文法書を読んでも英文法の半分かせいぜい60%くらいしかわかってこないかもしれませんが、とりあえず文法書はそれ以上に追求せず、リーダー的な本の学習に取り組み(リスニングや音読、シャドーイングをやるという意味ですよ)、ある程度やったところでもう一度その文法書を読んでみると今度は理解度が増した・・という感じで使うのです。
文法書をまず100%にして次に進もう、というのはかなりまちがった学習法と言えます。SLAの観点からしてですね。
ドリル的なもので文法を完璧にして・・という今までの学校のやり方を繰り返す必要はありません。
それは、テストをして点数をつけねばならないシステムだから、点をつけやすいように教えているにすぎません。
それが最高最善の教え方というわけではないのです。

学校英語の呪縛から離れることをおすすめします。

行きすぎは禁物

2013.09.10.13:29

言語学習には偶発的学習と意図的学習があります。
問題はそのバランスですね。現在の知見をまとめれば、インプットによる偶発的学習をメインとしつつ、そこに適宜、意図的学習を入れていくのが効果的であろう、ということになっています。

ですので、インプット「のみ」によって上達しよう、というのもまたバランスを欠くことになります。
その限界はイマージョン教育の経験によって明らかになっている、というのも現在の知見の一つです

ただ日本では偶発的学習の重要性が知られていないので、それを強調する言い方をよくするわけですが、
意図的学習の必要性を否定しているわけではありません。

何が何でもインプットのみ、という「インプット至上主義者」は、実質的にもういないと言ってもいいでしょう。

なにか、通りすがりにここをちょっと見て、私のことをインプット至上主義者で、意図的学習を否定しているかのように誤解する人がいるらしいですが、そうではないので、あくまで「バランスが大切」と申しておきます。
プロフィール

SH

Author:SH
東京大学大学院総合文化研究科出身。現在、地方の公立大学教授。第二言語習得研究・音声学等の知識をもとに25年以上にわたり英語教育に携わる。
TOEIC990点。
英語のほかいろいろな言語をやってみました。フランス語・ドイツ語・中国語も本を読むことはできます。現在は中国語とロシア語を学習中で、自分の外国語学習理論による多言語習得をめざしています。ハングル能力検定3級合格。

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