English Journal 4月号に出ている佐藤良明氏の「英語ができない病」。
連載になるようですが、なかなか痛快ですなあ。
「意志と自然の対立を乗り越えよう」と言っています。
これは、無意識的なインプットと意識的な学習はどちらか一方ではいけないということで、第二言語習得研究を知ってる人には常識ですが・・
ここで、日本の英語教育界を斬る中で、早期教育への熱を批判していますが、勢い余ってこんなことを書いてしまっています。
でも中学校だって、十分「早期」とはいえないだろうか。これを言うのは、ちょっと勇気が要るけれど――信頼できる教師を確保できぬまま進んでしまった中学校の英語教育が、その後、いくら練習してもなかなか英語が身に付かなくなる悪癖を日本人に植え付ける、全国民を巻き込んだ“逆教育”の場になっているという現実はないだろうか。
Oh my God! 言ってしまいましたよ。
でも、そう考えているのは私だけじゃないんですね。
前にも言ったけど、私の考えも、「人に教えるなら最低TOEIC900点」です。
TOEIC900点で採用試験の筆記免除なんかやってるのがおかしい。900点で足切りするのが本来なの。
でもそれだと人材確保できないから、基準を下げてます。
本当は、日本は、「全国民に質のいい英語教育をする」というだけの国力はない国なんでしょ? それははっきり認めなさいよ、ということですね。
無理しないで、英語は一部の人だけに絞ってやったほうが国益になると思うんですがね。
予算が少ないくせに平等主義でやろうとするから無理がある、ということですね・・
英語力の最低ラインというだけでなく、教えるための専門的スキルをどれだけ鍛えているのか?
英語教員の免許を取るのに、日英比較音声学、発音指導実技、第二言語習得理論、日本語文法の基礎知識(国文法ではなく)などという科目も必修ではないわけですよね?
免許を取るのを今より20倍くらい難しくせえ。そのかわり勉強して免許取った人は就職しやすくなる。いいと思うんですがね、その方が。
佐藤氏はネイティブ信仰のことも言っているが、ネイティブといっても英語教師として信頼できるのは、英語教授法をしっかり学んだことのある人です。そういう専門知識のない「ただのネイティブ」はモデルや練習相手にはなりますが、教えるプロではないですよね。
そういう人はなかなかいませんよ。というのは、ネイティブで英語教授法の修士を持っていれば大学に就職できます。街の語学学校などで働いてはいないんですね。
佐藤氏の文章の意図は、「英語教育におけるプロのコーチングが不足している」ということらしい。英語教育をいろいろ言う割にコーチングのプロがいないし、それを養成するしくみもないのは事実ですね。ま、今後、どう展開しますか。